森の底

何かになれない蛹の話

就活をやめる決断

 

決別と和解

 

先日、卒業式があり私も無事に大学を卒業した。

 

晴れて無職という肩書きを授かったのである。

 

 

SNSでも多くの人の晴れ着姿をみて、みんな卒業してあと数週間で社会人になるんだなと嬉しくなる。

 

画面越しだけど、顔にステッカーが貼ってあっても誰もがいい顔をして綺麗な姿でその日を過ごしていることがわかる。

 

ひとり深い森の底に置いていかれたような気持ちと、これから次のステージで頑張る人たちを応援したい気持ちが頭の中でせめぎあう。

 

特に、就活中に苦しんで葛藤していた就活垢のみんなには応援したい気持ちと、置いていかないでという気持ちがぶつかっている。

 

 

 

今回のブログでは、以下のことを書く。

  • 友達の話
  • 親との和解
  • パニック障害のその後
  • 今後どうやって生活していくか

 

内定辞退してから考えてはいたけど、卒業式を境に色々と解決したので、現実と向き合うためにも書いていきたい。

 

 

友達の話

私には就活中から、LINEで愚痴や相談をする友達がいた。

 

1年生の時から仲がよくて、就活する場所は違えど、LINEで励まし合って半年を乗り切った。

 

内定辞退やパニック障害のことも話したのだが、こんな重たい話したら迷惑なんじゃないのか?、家族関係など(実家に帰れないことに関わる話)を話して嫌だなと思われたらどうしようと考えてしまって、詳しくは話せなかった。

 

ここ1ヶ月、私はSNSから離れた。

無意識に周りと自分を比べてしまって焦るから。

 

そのときに友達とのLINEも返すのをやめた。

最後のLINEで卒業式に一緒に行こうと約束していた。

 

もう会えなくなるかもしれない。最後にちゃんと自分の状態や思いを聞いてほしい。これからも仲良くしてほしい。

 

これらの思いから、友達に自分のことを詳しく話した。

 

小中高の友達にも話したことがなかったから、どういう反応が返ってくるのか不安だった。

 

そんな不安とは裏腹に、友達はしっかり話を聞いてくれた。

 

「待ってたよ!信頼してくれて嬉しい。私とのLINE、負担になってなかった?」

 

めちゃくちゃ略称したけど、友達からの言葉はとてもとても温かかった。

 

卒業式でも話をした友達だけでなく、知り合いから先生まで多くの人が「頑張ったね、大丈夫だよ」と言ってくれた。

 

本心はどうあれ、そう言ってくれる人がこんなに多いんだ、とても周りに恵まれていたんだ、私は距離をとったと言ったけど信頼してないだけだったんだと4年間かけてようやく気づいた。

 

 

 

親との和解

以前ブログで、親にパニック障害だと言った時に中々理解してもらえず、勝手にしろと言われたと書いた。

 

それ以来、親と関わるのが少し嫌になった。だって勝手にしろって言ったじゃん。

 

だかそうはいっても親。心配、お金関係や契約のLINEが度々届いた。

 

全てがストレスでプレッシャーだった。

 

しっかり話し合っても何も変わらない気がして、また距離を置かれてしまう気がして怖かった。

 

時系列では前項の友達に話をしたことが先だ。

 

話すことをまとめているうちに、親に対して話さないといけないこともまとまった。

 

卒業式に参列するため、前日に私のアパートにくることになっていた。

 

話すことがまとまったとはいえ、勝手にしろと言われた親。逃げたしたかった。会いたくなかった。

 

夕飯を食べる時に、全て話した。

 

目は一切合わせられなかった。

 

思いの外すんなり話を聞いてくれた。

でもやはり今後の生活のことや治るのに時間がかかる精神疾患であることに心配していたし、不安に思っていたし、落胆していた。

 

精神疾患についてはまだ少し受け入れがたい様子でもあった。

 

この日に話し合えたことは大きくて、また1つ胸のつかえが取れた。

 

まだまだしっかり話し合わないといけないけどね。

 

卒業式当日、袴姿の私を見て喜んでくれているように見えた。会場で母と写真を撮った。その写真は現像して祖母に送るらしい。

 

 

パニック障害のその後

以前よりも良くなっている。

 

しかし、長引く予感はとてもしている。

 

密閉された空間、人混み、大きな音、高い音、煙草の匂い、圧迫感、不安。

 

心臓がだんだん強く握りつぶされて、呼吸が浅くなる。

 

音が大きく聞こえて、鳥肌がたち、寒気がする。

 

これが最近の普通になってしまった。

 

もうどうしたら発作が和らぐのか自分で理解しているので、ヤバイなと思ったらすぐに行動に移せる。余裕を持って行動している。

 

できることとしんどいことも分かってきた。

 

普通にできていたことが急にできなくなって4ヶ月が経った。

 

季節も変わった。

 

買い物ができたり、電車に乗れる時間が増えたり、友達と人の多いところにいけるようになったり。卒業式にも出ることができた。

 

歩幅は凄く小さいけれど、一歩一歩、少しずつ前に進んでいる。

 

きっとパニック障害とは長い付き合いになるだろうけど、この疾患を否定しないで一緒に前に進んでいきたい。

 

来月には自立支援医療の申請許可がおりる。

 

この疾患と長く付き合っていかなければいけないと現実を益々突きつけられるようだ。

 

 

今後どうやって生活していくか

わからない。

 

正直いってわからない。

 

実家には帰れないし、帰りたくない。

 

おばあちゃんには会いたい。

 

体調面を考慮して、就活をやめた。わりと大きな決心だった。

 

もう一度あの体験をすることを頭が、心が物凄く嫌がっていた。

 

新卒として、正社員として拘らなくても今の私にはいい気がした。

 

精神疾患を抱えて4ヶ月、私が本当にしたいことはなんだろうと図書館に引きこもる毎日を過ごした。

 

結論は出なかった。

 

ただ、自分が好きだと思えること、やりたいと思えることじゃないと仕事にしたくないという我儘で現実性のない答えが出た。

 

苦しい思いをしたのに、なぜか欲がでてきた。

 

だから別に正社員に拘らなくてもいいんじゃないかって。

 

もう周りの目を気にするのは、誰かの幸せ基準に合わせて行動するのは嫌になった。

 

本当に将来を考えていない幼稚な考えだ。

 

でも、ここまで自分の気持ちに素直になれたことは一度もなかった。

 

私の気持ちと症状を聞いた母の行動は速かった。

 

卒業式の翌日、ある資格の通学コースの教室に連れていかれて即契約。

 

晴れて、来月から資格を取るために半年間その教室に通うことになった。

 

その資格でできる仕事には一切興味はない。

 

ただ、今後生きていくのに重要な知識にはなるし、ニーズは多い。親族にもこの資格をとって働いている人がいた。

 

何かをしなきゃ。

 

その思いに後押しされ、アルバイトの申し込みをした。

 

毎回面接で聞かれて嫌な気分になるけど、真剣に考えてくれる方に出会えた。

 

無事にアルバイトが決まればいいな。

 

心配なのは電車移動が増えること。なんとかラッシュを避けられる時間にできそうだけど、もしもを考えるとやはり不安だ。

 

そしてもう1つ。

 

内定辞退をしてから、精神疾患を抱えるようになってから、書道と向き合う時間がとても増えた。

 

本当の意味で、書くことに集中し、感じ、聞いた。

 

上手く書けない、満足できない毎日だけど、この時間が1番幸せだ。

 

言霊を信じているし、有言実行にしたいので言いたい。凄く恥ずかしいし、まだまだ実力も備わっていないけれど。

 

書家になって、死ぬまで書道を続けたい。

 

お稽古をして、資格の勉強をして、アルバイトをして。

 

それでいいじゃないか。

 

私は前に進めている。

 

時には止まったって、後戻りしたっていい。

 

他人と違ったって、私は私のやり方で、進み方で、スピードでいい。

 

確実に成長しているし、ここで今生きている。

 

そう思うとこにした。

 

 

 

 

 

雨はあがった。

雨宿りはもうしなくても大丈夫。

12月の頭に内定を辞退した話④~その後とこれから編~

 

さて、あと2時間で年が変わります。

いつもはおばあちゃんと一緒に年越しするのですが、今年は1人。窓の外から見える車の光をぼんやり眺めています。

 

 

大学のある県に戻ってきて、直ぐに病院へ行きました。びっくりした。電車が怖い。エレベーターも乗れない。すれ違う全ての人が私を見て、軽蔑している。反対側の駅のホームにいる人も、店の店員もみんな、みんな。

 

結果は①に書いてあるとおり、パニック障害です。大きな原因は今回の研修だと思いますが、中々就職先が決まらなかったり、親からの無意識の圧力だったり、小さな不安と緊張感と圧迫感から起きたことです。

 

昨日まで、普通に生活していたのにね。

 

私の体調と気持ち、内定先への強い拒否反応がでたこと、他の人からの客観的な意見もあり、内定辞退することを決意しました。とりあえず、早く逃げたかった。

 

 

周りの人に報告してから内定辞退の連絡をいれることにしました。

 

まず、親に報告。ちょっと特殊な家族関係ですが、何だかんだ最近は関係がよくなりつつあったので、理解してくれると思っていました。でも、だめだった。体調は心配されましたが、パニック障害ということは何故か理解してないみたいです。「勝手にして。自分でなんとかして。でも絶対定職に就いて働きなさい。」そう言われて何かのスイッチが切れました。あまりにも色々言われてしまうと、スイッチが切れる。そして何も思わなくなる。こうなると、感情全て殺して従うのが楽なんです。もうこういうのは慣れっこです。今回は少し期待していたからちょっとキツかっただけなのです。

 

次にキャリセン。ツイッターでも度々呟いていますが、ここでのキャリセンの職員の言葉にとても救われました。内定を辞退したいこと、今はまだ就活を再開する気になれないこと、活に関する不安なことを全て相談・報告しました。一つ一つしっかり話を聞いてくださいました。「とりあえず、帰ってこれて良かった。我慢しなくてよかった。」この一言で、直接声として聞いた一言で初めて私のとった行動を認めてもらえたような気がしました。間違ってなかったよって。

 

そして内定先に電話です。手は震えていて、少し呼吸も心臓も苦しかったのですが、気持ちはしっかり決まっていたため、冷静にすらすらと話すことができました。途中、何故か涙がボロボロとながれてしまいましたが…社員たちはみんな心配してくれていたようです。特に怒られるわけでもなく、案外すんなり内定は辞退できました。

 

全てが終わって、安心したのか、緊張感から解放されたのか、ぐっすりと眠りにつきました。

 

 

 

実はこの件でスーツを来たサラリーマンが少し苦手になってしまったんですよね。あのときをどうしても思い出してしまう。フラッシュバックして呼吸が苦しくなって心臓が握りつぶされる。煙草の臭いなんかすると最悪です。

困ったなあ…

 

就活については、会社を探している状態です。12月に内定辞退したので中々難しいものがありますが…。

求人を見ることもしんどい。面接している自分を想像するとあの時の画像と自然と入れ替わる。気づいたら過呼吸になっている。

内定をもらっていた業界はもう無理になってしまいました。今までやりたかったこと、できなくなってしまった。どの業界がいいかとか、全部わからなくなってしまいました。

就活、私にまたできるのかな。今は全く自信がなくて、怖くて、ただ家に引きこもっていたい毎日です。

 

また"普通"になれなかった。 

 

 

 

一旦ここでこの話は終了になります。

年末になんとかしたいと思って、1日でざザッと書きましたが、まだ少し混乱しているかも。

 

最後に、私が1番キツかったときに話を聞いてくれたフォロワーさんに感謝します。おかけで、早く冷静になれて行動に移せたと思っています。私がsns上じゃないと中々本心が言えない人間なのでとても助けられました。安心できました。本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

10分後も10年後も

同じように生きているだろうか

12月の頭に内定を辞退した話③~卒倒編~

 

数時間前にあげたばかりなのに、何人か読んで下さった方がいて驚いています。

ありがとうございます。

 

 

卒倒編、随分と物騒なタイトルですよね。

前編のあとパニックになって失神してしまったんです。あまり記憶も無くて。それを思い出せる範囲で書こうと思います。

 

 

研修の第1部が終わり、逃げるように部屋から出ると、社員の方に次の研修の時間までに辛くなったら休憩してていいからねと言われました。返事すら答えることがキツくて素っ気なく何か言葉を残してその場から逃げました。

 

誰にも自分の弱い部分を見せたくなかった。恥ずかしかった。人気のない所へやっと移動し、座り込みました。この時既に過呼吸になっていて、手足に力が入らず麻痺し、立てなくなりました。苦しかった。誰もいないのに圧迫されているようで、むせかえる煙草の臭いと、講師の声、"昔"の研修のはずが自分がそれを受けたかのように錯覚していた気がします。涎もだらだらと垂れていましたが、手足が動かなかったのでどうすることもできませんでした。

 

もうこれは死ぬと思い、何とかして助けを呼ぼうとしました。しかしスマホは回収されたまま。呼吸をするのが精一杯で声などだせません。

 

社員になんとか発見してもらい、横になれる場所へ移動しました。このとき、呼吸はさらに苦しく、手足も冷たくなっていき、痙攣していました。もう普段の呼吸の仕方が分からず、ヒューヒューという呼吸音が聞こえてきました。これ、私の息か。自分の身体だけど、他人事。このまま死ぬんかな、そう思いながら意識を失いました。

 


意識が戻ると、10分前は症状が酷くて救急車を呼ぼうと思ったという声が聞こえてきました。そういえば、社員が過去に叫んだり、倒れたりしたこともあったよね~って呑気な声も聞こえてきました。

 

時計で時間を確認すると、1時間半が経過していました。なんであんなにパニックになっていたのに時間がわかるのかというと、第1部の研修が終わるときに時間を厳しく言われていたからです。


体は全身ずっしりと重く、手足には痺れが残っていました。起きようとすると目眩と頭の重さでバランスが取れなくて起きれなくて。
手はかろうじて動かす事ができたのですが、腰から足は重く動きません。

 

社員から、途中で急に寝てしまった。疲れていたの?寝不足?と聞かれました。これ、失神じゃないの…?寝てたの、私。しばらく放心状態でした。

 


なんとか立てるようになり、社員と話した結果、少し別室で休むことになりました。食べ物をいただきました。全く食欲はなかったけど。手足の痺れは残っていて、休んでもあまり治りません。

 

最終的に大学のある県の自宅に帰ることになります。会社を出るとき、スマホを返していただきました。荷物を持って、直ぐに電車に乗りました。その時の様子は①にある通りです。

 

倒れてから社員の人たちには駅までの車を手配していただいたり、色々していただきました。ほとんど記憶にはありませんが。過呼吸の時も周りが何かしているなあという感じです。頭では色々考えているけど、視界はぼんやりしているし、涙は止まらないし、身体の感覚はないし、動けないし。この状態で1時間近くいたと思うと…直ぐにでも病院に連れていって欲しかった。

 

 

 

この日から数日間は眠れず、ずっと布団の中で泣いていました。講師に対する不信感、会社の方々に何度も迷惑をかけている罪悪感、自分の不甲斐なさからです。怖くて、苦しい。過呼吸を繰り返していました。

 

 

卒倒編はこんな感じで。

もう少し続きます。

 

12月の頭に内定を辞退した話②~研修編~

 

さて、今の状態のきっかけになった研修のことを書きますね。気が重いけど、来年に持ち越したくないから頑張ります。

 

身バレ防止のため、フェイクも交えて書いています。もうあの会社とも関わりたくないし。

 

 

 

11月某日、内定者研修がありました。

集合時間が早かったので、大学のある県から始発で移動。伝えられたのは集合時間と持ち物くらいで、研修で何をやるかは全く伝えられていませんでした。緊張と不安、少しの楽しみと将来の自分に対する淡い期待を持って、会社に向かいました。

 

 

会社に着いて、荷物を整理したら研修を行う場所に案内されました。最終的な内定者は募集人数の半分以下。女子は片手で数えるくらい。正直、大丈夫なの?って思っていました。全員揃うまでその人たちと話して時間を潰します。初めて会ったとき、直感で話が合わなそうな感じはあった。実際に合わないなと思って話を聞く側にまわっていました。

今考えると、これも不安要素の1つになりますね。

 

 

研修がいよいよ始まります。部屋に通される前にスマホを回収されました。研修が終わるまで返されないそうです。ここでえ?と最初の違和感。

 

部屋に入ると教壇と、その横に社員と社長が座っています。その教壇の前には内定者分の椅子。なんだこれ、面接か???全員着席すると厳かな感じで開会式が始まりました。

 

社長とその日講師を勤める社員の話です。ここでも違和感を感じました。地元の行事で若者は歳を重ねる毎に純粋な気持ちが無くなって真面目に取り組まなくなる。保育園児の方がよっぽどいい。は????何言ってるの?意味が分かりませんでした。だから君たちは初心を忘れずに頑張りなさいと。今日のことを忘れることなく、社会人として、この会社の社員として頑張りなさいと。説得力皆無すぎる…。

 

そして歴史ある(笑)研修の話です。5年前まで怒鳴ったり叩いたりしていたけど、今はそういう時代じゃ無くなったと社員が話します。ニコニコと笑顔で。それ、笑い事じゃないよ。なんで笑顔で話せるの? 不安がどんどん積もります。しかも、この言葉、この研修で何度も繰り返されます。

 

 

そこそこに長い話を聞いて、研修スタートです。未だに何時に何をするか、いつ研修が終わるかも知らされていません。

 

まず、グループワークです。内定者全員で「これだからゆとりはと言われる理由は何か」を議論するワークでした。テーマに違和感しかありません。こんなこと議論する理由が私には分かりませんでした。話し合ったあと、講師の見解を聞かされます。何だか、私たちの意見を潰されるような、否定されるような感覚です。何人か苦虫を噛み潰したような顔の人がいたので、違和感を感じたのは私だけじゃないんだと安心しました。良くない安心だけどね。

 

次は社是。社長の手書き(笑)の社是が書かれたプリントが配られます。うさぎのう○こみたいな字でした。これを黙読。講師から1つずつ説明を受けます。研修が終わるまでに覚えなければいけなくて、誰か1人が遅れるの他の人がフォローしないせいらしいです。連帯責任だとか。しかも、覚える時間は研修時間内にはありません。まじか。

 

ここで更に不安が積もります。研修中、私は大事なことをメモ帳にメモしていました。何度か発言する場面もあって、その時に右手にペンとノートを持っていたので左手で手を挙げていたんですね。そうしたら講師に他の人は右手を挙げているのにどうして君だけ左手をあげているんだと言われました。

 

 

は?

 

 

そんなこと生まれて初めて言われたよ…意味が分からなすぎるよ…この時点でヤバいなとかなり感じました。発言の場面が何度かあったと書きましたが、発言して間違っている部分を訂正していただく分にはいいんです。それが正しいからね。でも、可もなく不可もない、しかしこの会社にはいらない考えは全スルー。それが会社として正しいのかと思いましたが、心のどこかで自分の考えを否定された気がしたんです。それが何度かあった。ときには、ワークでのテーマにあるようにゆとりだから若者だからと言われることもあった。辛かったです。

 

次は返事の練習。もう悪い予感しかしません。あ~、これネットでみた宜しくないやつじゃん。どんどん不安感と圧迫感が増えていきます。


他にも幾つかのワークを受けていましたが、この時に何回か煙草の臭いがしました。個人的にはこれが1番しんどかった。喉がキュッと締まり、ドッドッドッと心拍数が上がります。びっくりするほど心臓の音が強く頭に響きます。自分が発表しているときに周りを見渡すと社員の方が何人か煙草を吸っていました。煙草を吸って研修を見ていました。もうこのあたりでかなりパニック。唖然としました。ブログだから言葉にしないといけないんだけと、言葉にできないよね。かなりショックでした。自分が責められているような、自分を全否定されている感覚に陥りました。このときには体調も精神も大分しんどくなってきてしまい少し泣いていたかもしれません。就活中1回も泣かなかったのにね。

 

 

ようやく第1部の研修が終わります。講師が第1部の反省点としてこう言いました。怒鳴るのではなく、キツめに。

 

「君たちはどうして反応が薄いんだ。行動が遅いんだ。発言をするとき何でいちいち手をあげるんだ。プリント貰うときどうして1人ずつ来るんだ。足りなかったらどうするんだ、以前はわざと足りなくしていたんだぞ。君たちはこうしたことでもチャンスを逃しているんだぞ。そういうところが指示待ち人間と言われんるんだぞ。」

 

 

うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

もうだめだ!逃げたい、早くここから消えたい!

 

 

講師の話を聞いて、研修が終了したかと思い、皆それぞれ席を立ちます。その時です。

「どうして平気で席をはずせるんだ。社長に礼だろ!どうして内定者研修を開いてもらっているのにそういう行動ができるんだ!誰か仕切ってもう一度最初から挨拶だ!」

 

 

考えることをやめました。この時すでに私は足元がふらつき、呼吸も肩を使わないとできなくなっていました。途中退出しようにもできない雰囲気で。少し視線を感じたので他の内定者や社員も体調悪いことに気づいていたと思います。めっちゃ目、合ったもんな。

 

 

休憩時間をこの時伝えられましたが、時間がかなり押してるとこにご立腹でした。その責任は全て内定者のせいらしいです。

 

 

ここで気になった話をいくつか。私の感じた違和感です。

 

講師の話、今の時代はと言いながら昔との比較がかなり多かった…まるで、昔の方が正しく誇らしいんだと言っているようでした。昔って言っても5年前だよ。最近だよ。

 

逃げることをしきりに否定してくる研修でした。何度も言われました。途中退室できなかったのは、このときに言われたことも大きく頭の中に残っていたから。

 

あと、その昔に研修で出された課題をクリアできなかった内定者がいたそうです。その内定者に対して行ったことにドン引きしました。それは、社員に土下座させてその手の上を内定者に歩かせること。泣いてでもやらせたと。これを嬉々として講師が語るのです。ありえない。まず、人として品性を疑う。

 

講師は、間違った行動に対して急に怒っていました。説明しなくても分かるだろうという感じ。これが、次はいつ怒られるんだろう、何を言えばいいんだろうと緊張感と不安感を駆り立てます。まるで洗脳してるみたいですね。

 

 

 

研修編はここまで。

書いている今、体調が悪くなってきたので一旦休憩します。

 

12月の頭に内定を辞退した話①~現状編~

 

つらみです。

 

私が住んでいるところでも初雪が降りました。豪雪地出身なので、この時期に初雪で、地面に雪がないのは未だに変な感じです。

 

しばらく内容が重いブログになると思います。私のただのエゴなので、ご了承ください。

 

今年は帰省を諦めました。本当は帰りたかったんだけど、頭と身体が拒否するんですよね。考えると結構しんどくなります。自分の不甲斐なさと、家族への申し訳なさ、友達に会えない悲しさとか色々ね。

 

本当は帰って、実家でゆっくりするはずだったんです。大学生になって少しずつ関係が良くなってきた家族と将来のこととか話したり、友達と内定先や職場のこと話したり、美味しいご飯食べたり。

全部できなくなってしまいました。

 

 

それは、私が突発性のパニック障害になったから。

 

最近だとジャニーズの方が何人か公表されていますよね。あれです。

私の場合は、電車やエレベーターとか狭い場所や人が多い場所で動悸と息が苦しくなります。酷いと過呼吸や緊張感からくる目眩で目の前が真っ白になって動けなくなります。最悪、家から出られません。

このままだと色んな人に迷惑をかける、どこか人がいないところに行かなきゃ、早く早く早く、逃げたい怖い。そう感じます。

どうしても電車で移動しないといけない時は人が少なそうな時間に乗ったり、何駅か乗って降りてを繰り返したりしてます。バイトは事情を話して、人が少ない時間帯に勤務時間を合わせていただきました。

でも、好きなことが1つしんどくなりました。それはライブに行くこと。ライブハウスの密閉された空間と人との距離、大きな音。先日行ってきましたが、かなりキツかった。薬を飲みながら、人が密集していない1番後ろでなんとか見ることができました。

制約はありますが、できることとできないことを探しながら、なんとか生きています。

 

 

 

前置きが長くなりましたが、私が8月まで就活して、頑張ってやっとの思いで納得できる会社にもらった内定を辞退した理由を書きたいと思います。

 

単刀直入に言うと、研修を受けて、この会社にいるとヤバいと思ったから。その研修きっかけでパニック障害になったからです。

 

本当は思い出したくもないし、一刻も早く忘れたいというか無かったことにしたい。これを書いている今も動悸が凄い。苦しい。

 

でも、向き合わなければなりません。今は自分で逃げることを許していますが、働かなければ生きていけない。こんなことになってしまったから、いっそのこと死んでしまいたいけれど。

 

 

実家に帰れない理由はこれなんです。

内定を辞退したこと。それがきっかけでパニック障害になったこと。この2つを家族が中々理解してくれないこと。電車に乗るのもそうだけど、会社のある地元の県に行くことすら怖いこと。今は会社に向かうために通った景色すら怖くて、思い出したくない。見たくもない。

 

どうしてその会社から大学のあるところに戻ってこれたかというと、死ぬほどその地域に居たくなかったから。家族に合わせる顔がないから。逃げるように電車に乗り、半ば過呼吸になりながら、隅っこにうずくまって戻ってきました。

 

 

 

次は研修のことを書きますね。

 

 

 

 

 

 

 

しんどいなあ。