森の底

何かになれない蛹の話

就活をやめる決断

 

決別と和解

 

先日、卒業式があり私も無事に大学を卒業した。

 

晴れて無職という肩書きを授かったのである。

 

 

SNSでも多くの人の晴れ着姿をみて、みんな卒業してあと数週間で社会人になるんだなと嬉しくなる。

 

画面越しだけど、顔にステッカーが貼ってあっても誰もがいい顔をして綺麗な姿でその日を過ごしていることがわかる。

 

ひとり深い森の底に置いていかれたような気持ちと、これから次のステージで頑張る人たちを応援したい気持ちが頭の中でせめぎあう。

 

特に、就活中に苦しんで葛藤していた就活垢のみんなには応援したい気持ちと、置いていかないでという気持ちがぶつかっている。

 

 

 

今回のブログでは、以下のことを書く。

  • 友達の話
  • 親との和解
  • パニック障害のその後
  • 今後どうやって生活していくか

 

内定辞退してから考えてはいたけど、卒業式を境に色々と解決したので、現実と向き合うためにも書いていきたい。

 

 

友達の話

私には就活中から、LINEで愚痴や相談をする友達がいた。

 

1年生の時から仲がよくて、就活する場所は違えど、LINEで励まし合って半年を乗り切った。

 

内定辞退やパニック障害のことも話したのだが、こんな重たい話したら迷惑なんじゃないのか?、家族関係など(実家に帰れないことに関わる話)を話して嫌だなと思われたらどうしようと考えてしまって、詳しくは話せなかった。

 

ここ1ヶ月、私はSNSから離れた。

無意識に周りと自分を比べてしまって焦るから。

 

そのときに友達とのLINEも返すのをやめた。

最後のLINEで卒業式に一緒に行こうと約束していた。

 

もう会えなくなるかもしれない。最後にちゃんと自分の状態や思いを聞いてほしい。これからも仲良くしてほしい。

 

これらの思いから、友達に自分のことを詳しく話した。

 

小中高の友達にも話したことがなかったから、どういう反応が返ってくるのか不安だった。

 

そんな不安とは裏腹に、友達はしっかり話を聞いてくれた。

 

「待ってたよ!信頼してくれて嬉しい。私とのLINE、負担になってなかった?」

 

めちゃくちゃ略称したけど、友達からの言葉はとてもとても温かかった。

 

卒業式でも話をした友達だけでなく、知り合いから先生まで多くの人が「頑張ったね、大丈夫だよ」と言ってくれた。

 

本心はどうあれ、そう言ってくれる人がこんなに多いんだ、とても周りに恵まれていたんだ、私は距離をとったと言ったけど信頼してないだけだったんだと4年間かけてようやく気づいた。

 

 

 

親との和解

以前ブログで、親にパニック障害だと言った時に中々理解してもらえず、勝手にしろと言われたと書いた。

 

それ以来、親と関わるのが少し嫌になった。だって勝手にしろって言ったじゃん。

 

だかそうはいっても親。心配、お金関係や契約のLINEが度々届いた。

 

全てがストレスでプレッシャーだった。

 

しっかり話し合っても何も変わらない気がして、また距離を置かれてしまう気がして怖かった。

 

時系列では前項の友達に話をしたことが先だ。

 

話すことをまとめているうちに、親に対して話さないといけないこともまとまった。

 

卒業式に参列するため、前日に私のアパートにくることになっていた。

 

話すことがまとまったとはいえ、勝手にしろと言われた親。逃げたしたかった。会いたくなかった。

 

夕飯を食べる時に、全て話した。

 

目は一切合わせられなかった。

 

思いの外すんなり話を聞いてくれた。

でもやはり今後の生活のことや治るのに時間がかかる精神疾患であることに心配していたし、不安に思っていたし、落胆していた。

 

精神疾患についてはまだ少し受け入れがたい様子でもあった。

 

この日に話し合えたことは大きくて、また1つ胸のつかえが取れた。

 

まだまだしっかり話し合わないといけないけどね。

 

卒業式当日、袴姿の私を見て喜んでくれているように見えた。会場で母と写真を撮った。その写真は現像して祖母に送るらしい。

 

 

パニック障害のその後

以前よりも良くなっている。

 

しかし、長引く予感はとてもしている。

 

密閉された空間、人混み、大きな音、高い音、煙草の匂い、圧迫感、不安。

 

心臓がだんだん強く握りつぶされて、呼吸が浅くなる。

 

音が大きく聞こえて、鳥肌がたち、寒気がする。

 

これが最近の普通になってしまった。

 

もうどうしたら発作が和らぐのか自分で理解しているので、ヤバイなと思ったらすぐに行動に移せる。余裕を持って行動している。

 

できることとしんどいことも分かってきた。

 

普通にできていたことが急にできなくなって4ヶ月が経った。

 

季節も変わった。

 

買い物ができたり、電車に乗れる時間が増えたり、友達と人の多いところにいけるようになったり。卒業式にも出ることができた。

 

歩幅は凄く小さいけれど、一歩一歩、少しずつ前に進んでいる。

 

きっとパニック障害とは長い付き合いになるだろうけど、この疾患を否定しないで一緒に前に進んでいきたい。

 

来月には自立支援医療の申請許可がおりる。

 

この疾患と長く付き合っていかなければいけないと現実を益々突きつけられるようだ。

 

 

今後どうやって生活していくか

わからない。

 

正直いってわからない。

 

実家には帰れないし、帰りたくない。

 

おばあちゃんには会いたい。

 

体調面を考慮して、就活をやめた。わりと大きな決心だった。

 

もう一度あの体験をすることを頭が、心が物凄く嫌がっていた。

 

新卒として、正社員として拘らなくても今の私にはいい気がした。

 

精神疾患を抱えて4ヶ月、私が本当にしたいことはなんだろうと図書館に引きこもる毎日を過ごした。

 

結論は出なかった。

 

ただ、自分が好きだと思えること、やりたいと思えることじゃないと仕事にしたくないという我儘で現実性のない答えが出た。

 

苦しい思いをしたのに、なぜか欲がでてきた。

 

だから別に正社員に拘らなくてもいいんじゃないかって。

 

もう周りの目を気にするのは、誰かの幸せ基準に合わせて行動するのは嫌になった。

 

本当に将来を考えていない幼稚な考えだ。

 

でも、ここまで自分の気持ちに素直になれたことは一度もなかった。

 

私の気持ちと症状を聞いた母の行動は速かった。

 

卒業式の翌日、ある資格の通学コースの教室に連れていかれて即契約。

 

晴れて、来月から資格を取るために半年間その教室に通うことになった。

 

その資格でできる仕事には一切興味はない。

 

ただ、今後生きていくのに重要な知識にはなるし、ニーズは多い。親族にもこの資格をとって働いている人がいた。

 

何かをしなきゃ。

 

その思いに後押しされ、アルバイトの申し込みをした。

 

毎回面接で聞かれて嫌な気分になるけど、真剣に考えてくれる方に出会えた。

 

無事にアルバイトが決まればいいな。

 

心配なのは電車移動が増えること。なんとかラッシュを避けられる時間にできそうだけど、もしもを考えるとやはり不安だ。

 

そしてもう1つ。

 

内定辞退をしてから、精神疾患を抱えるようになってから、書道と向き合う時間がとても増えた。

 

本当の意味で、書くことに集中し、感じ、聞いた。

 

上手く書けない、満足できない毎日だけど、この時間が1番幸せだ。

 

言霊を信じているし、有言実行にしたいので言いたい。凄く恥ずかしいし、まだまだ実力も備わっていないけれど。

 

書家になって、死ぬまで書道を続けたい。

 

お稽古をして、資格の勉強をして、アルバイトをして。

 

それでいいじゃないか。

 

私は前に進めている。

 

時には止まったって、後戻りしたっていい。

 

他人と違ったって、私は私のやり方で、進み方で、スピードでいい。

 

確実に成長しているし、ここで今生きている。

 

そう思うとこにした。

 

 

 

 

 

雨はあがった。

雨宿りはもうしなくても大丈夫。